北九州市若松区の自律神経失調症【自律神経を整える】専門整体 ひびきのカイロプラクティックのプロフィール(鳰 瑞輝)
皆さん、こんにちは。鳰 瑞輝です。
「鳰」は、におと読みます。
鳩ではありません。
千葉県出身です。
東京都日野市から引っ越してきました。
27歳独身です。
【あん摩マッサージ指圧師】+【作業療法士】というキャリアを生かして、
ひびきのカイロプラクティックで、
カイロプラクティックや指圧を通して、
病気予防や疲労回復といった皆様がハッピーに健康になるために
貢献していきたいと思います。
また指の音指圧治療院では、
麻痺の方、寝たきりの方の機能回復や緩和ケアのため、
訪問マッサージを担当します。
なぜ私がこの仕事を目指したのか?
あまり上手とは言えませんでしたが、
中学では軟式テニス、
高校では硬式テニスをしていました。
元々の注意力の低さ故か、
人一倍怪我をしていたように思います。
特に大会前や、練習で一番コンディションの良い時に怪我をしていました。
そんな時にお世話になったのが、接骨院の先生でした。
優しく、分かりやすい説明をしてくれ、
あまり頭の良くない僕でも理解出来るように説明してくれていました。
筋トレをしていたこともあり、
その時から身体への興味が出ていたのだと思います。
高校からの進学の際、進路の壁に当たりました。
その時、目指したのが指圧師の道でした。
勉強が嫌いで大学に行きたくない、
と言う逃げの考え方も有りました。
高校卒業後は、
日本で唯一の指圧専門学校へ入学できました。
東京ドームの近くにある浪越学園日本指圧専門学校で、
とても楽しい学生生活を送りました。
先輩方、先生方、同級生がとても可愛がってくれました。
そのため、学校は益々楽しくなって、
3年間無遅刻無欠席で表彰されました。
3年間は、試験では苦労しましたが、
楽しく遊んだ記憶しかありません。
3年間、色々な人にお世話になりながら、
なんとか資格を取ることができました。
卒業してから露頭に迷う
卒業して、1つめの会社就職は、
指圧と整体業務をしているリラクセーション系のお店にお世話になりました。
入店後は社会経験のない中で上司に毎日怒られる状態でした。
私生活から手技、普段の過ごし方まで…。
今振り返ると怒られても当然です。
3年間勉強も練習も熱心にしませんでした。
3年間遊んで暮らしたので、卒業したら苦労しました。
色々な方に優しく、
助けてもらいながら恵まれすぎていた環境で、
過ごしていたのだなぁと、実感しました。
だから、現実はあまりにもきつい毎日でした。
1年間働いたものの、そこでマッサージが全然出来ていない。
マッサージ、指圧が嫌いになりました。
指圧の仕事ができない。
仕事がもらえない。
実力がない。
この世界は、実力がものをいう、
職人の世界でもありました。
とても苦しい1年間でした。
考えてみれば元々、
治療家を目指していたのではなく、
大学から逃げるという選択肢で専門学校に進みました。
そこで私は職場から逃げる選択肢を取りました。
卒業後してからお世話になった神田先生と安部先生
次の職場に頼ったのが、「卒業して何か困ったら連絡してこい」と温かい言葉を頂いていた東京都町田市にあるダヴィンチ指圧治療院の神田院長でした。
神田先生は、PT(理学療法士)として働きながら日本指圧専門学校で3年間同級生として過ごした頼れる先生でした。
試験はいつも落第点すれすれの私を、国家試験対策をして合格させてくれた恩人です。
ダヴィンチの皆さんが温かく迎えて頂きました。
しかし、ダヴィンチ指圧治療院の求めるレベルは高く、また壁にあたりました。
バイタルチェック(血圧測定、サチュレーション、その他の検査)から始まり、
指圧マッサージ、寝返り訓練、歩行訓練、
運動指導など勉強と練習に明け暮れました。
そこで神田院長と共に温かく指導してくれたのが安部(当時副院長)先生でした。
会社の寮に安部先生が週に2回泊まりに来てくれて、
仕事が終わってから猛練習が始まりました。
正直なところ、
夜遅くまで練習するのはあまりにもキツく、逃げ出したかったです。
ああ、もう安部先生が帰って来なければ良いのに、
と思ったことも何回もあります(笑)
3ヶ月ほど色々なことを教わりながら指圧練習をした結果、
ある程度できるようになりました。
神田院長からも合格点をもらえ、
結果的にはマッサージ、
指圧が少しずつ好きになりました。
安部先生の採点は、1000点中の30点でした。
そのおかげで、
今も調子に乗らないで練習に励んでいます。
安部先生に初めて指圧をしてもらった時が衝撃的でした。
その時の記憶が今でも鮮明に残っています。
指圧が終わった後、
しばらく気持ちが良い感じが続いて、
起き上がることができずにいました。
次の朝に特に辛さを感じて居なかったものの、
身体がすっきりし、
より良く1日を過ごせたと思います。
多分、そこでより立派な指圧師を目指すようになったのだと思います。
その後、作業療法士の資格取得のため勉強などを通し、
治療とは、治療家とはなんだろうと思い続けて居ました。
作業療法士学業優先するために、2年間は仕事を辞めました。
現場から1年ちょっと離れてしまった今、
自分が治療家であるのかは曖昧かもしれません。
それでも、身体で困っている人が居たらなんとかしたい、話を聞きたいと思います。
作業療法士の資格を取りましたが、
本質はまだ理解しきれて居ないと思います。
指圧を通した中で色々な方から教わった考え方、
4年間リハビリ学校に通い学んだ作業療法士としての考え方を組み合わせ、
自分の助けたい人、出来る方法で人助けをしていきたいと思います。
長くなりましたが、
治療家を目指したのは浪越の学校を卒業してからだと思います。
23の頃、安部さんから受けた衝撃で治療を意識し始めました。
その時から僕の目指す治療は、
「悪い人は良く、良い人はより良く、皆が毎日を楽しく生きられれるような自然治癒力を高める治療」、です。
また、治療家という立場ならその手助けを出来ると思ったからです。
自分が初めて安部さんの治療を受けた時のあの感覚を色んな方に味わってもらいたい、
提供していきたいと思っています。
ひびきのカイロプラクティックで、
治療の考え方、
私生活とのバランス、
身体の使い方、
生きる楽しみ方などを
学んでいきたいと思っています。
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自律神経専門 あなたの自然治癒力を呼び起こして
人生パフォーマンス向上カイロプラクター
ひびきのカイロプラクティック
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